うんこみたいな日々

を過ごす。

スプラッシュうんこ

深夜0時。大の男が部屋で一人悶まくる。

 

虫が出た。見たことのない虫。触覚が異常に長い。飛んでいる。

 

情けない。1年前まで住んでいたシェアハウスではゴキブリが2日に1体は出現するという通常イベントと化して極度な虫嫌いも流石に解消されたかと思っていた。出現する度に悲鳴を上げて、何事かと住民全員が駆けつけ迷惑をかけてしまう事も多々あった。

 

さらに遡る事一年前、一人暮らしをしていた頃。朝シャワーを浴びる前に全裸でユニットバスのトイレで用をたそうしている最中にゴキブリを発見。反射的に立ち上がって、体を回転させたその瞬間。緩んだ穴から放たれたウ○コがスプラトゥーンのペイントのように「ペチャッ」と壁にへばりついてしまった。

 

小学生が漏らしたとかの話ではない。夢いっぱいに上京して一人暮らししている青年が朝ドラの放送しているような時間帯に全裸で自らのウ○コを見て落胆する。この後、児童館に出勤して子供達と接するんだぞ。こんなカオスな景色があってたまるのか。

 

そもそも、ゴキブリが出た際の精神状態で駆除する思考回路など働かない。正気を失った人間はまず悶える事しかできないのだ。

 

ゴキブリが現れたら決まって友達に電話する事にしている。電話して何になる。いやいや。信頼のおける人間と会話している状態はそれだけで心強い。さらに正常な思考回路を失った自分に代わり、「触るのは嫌」だの、「暴れ苦しむ姿は見たくない」だの、コチラの要望を提示した上で最適な駆除プランを共に模索していただく。

 

「も、もしもしぃぃぃい!!!」
「ゴキブリだね。一旦落ち着こう。」

 

いつもSOSに応じてくれる彼は第一声から俺の置かれている状況を理解できるまでになった。もはやゴキブリ相談窓口のプロフェッショナルだ。


今回、ゴキブリよりは気持ち悪さで劣るものの触覚が異常に長い小ぶりな未確認生物が現れた。
しかし、こんな小物一匹で深夜0時にいきなり電話をかけるのは迷惑だ。というより夏がやってくるというのに先が思いやられる。コロコロ(←掃除するやつ)のシートを一枚ちぎって机の上に君臨する触覚長々野郎にジワリジワリと接近する。

 

「フッ、ファッっ!!!」

 

居候先で寝ている方々の迷惑にならないよう、声にならない声で身震いしながら格闘する事数分。

 


一人じゃ無理だ。

 


深夜0時。プロフェッショナルの出る幕はないと判断し、他に話を聞いてくれそうな友達に電話。

 

「もしもし、どうした?」
「いや...あのう...」
「ん?」
「フゥー、フゥー、フワッ...!フュァア!!(格闘中)」
「え?」
「虫がッ...!電話このままで!(小声)」
「お、おおう。」
「フュァ!!フュフォッッ!!フー!!!」
「...」
「ちょっと待ってよ。」
「おう。(困)」
「フューーー、ファッ!!!」
「...」
「フスー、スーーー、フーーーヮァッフ!!!!!!!!!(捕獲)」
「...」
「ありがとう。」

 

彼も話したい事があったらしい。訳も分からず数分間男の悶える声を夜中に聞かされた挙げ句「明日早いのでおやすみ」なんて言える訳もなく、そこからアフタートークは1時間程白熱した。夜道に自らの声が響く。

 

一見無駄に感じるような時間が今はとても大切に感じるのです。

アルバイトおばあちゃん

小学生の頃、休日は決まって車で15分程のイトーヨーカドーに母と出掛けた。


ゲームフロアの隅には当時大流行していたムシキングのアーケドゲーム。戦うムシ達に目を輝かせながら熱中していたけど、今となってはカブトムシの裏面を見ただけで吐き散らかしてやろうかと思ってしまう。
あれはゴキブリさんの親戚だよね?親戚の集まりで顔合わせてるよね?

 

人は何かを失って大きくなる。

 

ゲームの思い出以外にもCDショップや本屋さんを母と一緒に周った。旅行代理店が最上階にあって、横浜のパンフレットをよく持ち帰った。当時小学生のガキが何故、横浜に惹かれていたのかはよく分からないけどホテルの部屋を眺める時間がとても好きだった。


マクドナルドでおやつを食べた後、食料品の買い物でフィニッシュ。お決まりのショッピングプランだ。


食料品売り場では基本的に母の采配を忠実に守るスタイルでカート係として買い物を支えていたのだが、トースターの焼ける音が聞こえると早歩きで出処に向かった。試食争奪戦だ。サラダや汁物系、店内に散りばめられた様々な試食コーナーの中でもピザは特に人気の商品だ。この争奪戦に参加する年齢層は大体同世代なのだが、たまに食いしん坊なオバサンも混じってたりする。

基本的に2回以上の試食は文字通り試食業界で御法度なのだけれど、ある日、タコハンバーグの試食で販売員のおじいちゃんが「もっと食うか?」と勧めてくれた。

 

「全然なくならないから助かるよ。」

 

余ったタコハンバーグをほとんど焼いてもらって夜ご飯が食べられない程にお腹を満たした。母は笑いながら一つだけ購入。

 

レジで会計を済ませたらビニール袋に詰め込むのを手伝ってその日の気分で売店のたい焼きを買ってもらう。

 

焼けるのを待つ時間、たい焼きができるまでの工程を見るのは退屈しない。ある日も、焼けるのを待ちながら店員さんの動きを観察していた。子供ながらに衝撃の光景を目の当たりにする。

 

おばあちゃんが凄く怒られていた。

 

パートリーダーといったところだろうか、機敏な動きを見せるオバサンの話を「はい!」と聞きながら、コントのようにあたふたして、「動け!」だの「違う!」だの手を叩かれるような勢いでおばあちゃんが指導を受ける。

 

おばあちゃんが新人のアルバイトなのだとすぐに理解。

 

先生に怒られるのすら怖いのに、義務教育を終えて進学、社会に出た後。さらに任期満了まで職務を果たしたであろう年齢になっても10才くらい年下の人間に怒られる社会の厳しい現実に恐ろしさと虚しさを実感した。

 

「がんばれ...!おばあちゃん!」

 

心の中で勝手に応援した。

 

それからはイトーヨーカドーへ行く度におばあちゃんの働く姿を確認する。

 


幾度となく通ったイトーヨーカドーが小学6年の時に惜しまれつつも閉店。地元から離れた繁華街の巨大な商業施設の一部に移転するという形だった。

 

最終日に母と買い物すると友達も家族で訪れていた。閉店間際、正面入口を挟むようにしてスタッフ一同が並んで「ありがとうございました」と頭を下げる。この黄ばんだフロアを踏みしめる事がもうないのかと思うと結構切なかった。イトーヨーカドーを出る。


ニュースで取り上げられる程注目の中、オープンした商業施設を母と訪れた際に移転した様子を伺うためにイトーヨーカドーの食料品売場で買い物して帰った。

 

レジを通ると見慣れた、たい焼き屋を目にする。昔怒られていた新人のおばあちゃんが若いスタッフに手を交えながら仕事を教えていた。

 

あぁ、たくさんのスタッフも移転したんだなと実感。


人生は長い。何かを失っても居場所はある。


またいつかあのイトーヨーカドーを訪れたい。



 

クロネコマナコへ肉球拳

居候先で猫を飼っている。名前はクマ。真っ黒でとても綺麗な毛並みをしている。二歳の雄猫だ。

 

猫は夜行性と言われるけど、実家で飼っていた猫もクマも家族が寝静まると大人しくしている。

 

ある晩、一階の部屋からトイレへ向かう最中、階段を見上げるとクマがこちらを見下ろしてウロウロしていた。

今日は元気だな。

俺も元気なのを済ませて寝床につく。

 

寝る前にドキドキするような記事を読んだせいか、なかなか寝付けない。エキサイティングな妄想がどんどん膨らむ。

 


ハッ!!!突然思い出す。

 


明日の朝食に取っておいた焼き魚をラップもせず台所に置きっぱなしだ。冷蔵庫に入れるのを忘れた。


飛び上がり、急いで台所へ向かう。

 


遅かった。

 

皿には骨だけが無惨な姿で残っていた。ビニール袋で密封した残骸を捨てて真夜中に皿を洗う。

 

足元でクマがウロウロしている。


やってくれるぜ。


恐らくクマは住み処の新入りとして俺をまだ認めていない。


朝起きて部屋のドア開けると足音もたてずにダッシュでクマが浸入してくる。猫は大好きなのだけど神は残酷なもので"猫アレルギー"という持病を与えられた。宙に舞った毛が目の中に入ると痒みと涙が止まらない。

しかしクマは短髪で毛が抜けにくい。越してきて症状を発祥した事が一度もないが、本能的に取ってしまう距離感がクマの探究心をくすぐっているのだろう。

部屋の中で鬼ごっこが始まる。

 

弧を描くように永遠と部屋の中を逃げ回る。一生終わらないので気が済むまで部屋を探索させる事にした。窓とソファの隙間で静止したり、潜入捜査しているような緊張感で収納の中を嗅ぎ回っている。


満足したのかドアの前で「出してくれ」と言わんばかりにこちらを見ている。抱っこしてみる。目を瞑りながら心地良さそうに腕の中へ収まる。やはり猫はかわいい。


同じ調子でお腹を撫でたその瞬間、目を鋭く開くと瞬時にクマの右ストレートが俺の左目に炸裂した。肉球の感触が残る。俺を蹴り飛ばし、倒れながら開けてあげたドアの隙間からテッテッテッと去っていた。

 


やってくれるぜ。

 


先輩の激昂スイッチがどこにあるのか、機嫌を取るには何をすれば良いのか、直接聞くことはできない。

 

欲を満たすという行為はそれほど難しいのだ。

道のりは険しい。

ガラケー任期満了

2年間使用したガラケーを解約した。そしてスマホを買う。


手続きが大変大変。

MNP転出だの、身分証明だの上の空。

Web上で保険証の撮影ボタンを押すと何故か最初の入力画面へと何度もループしてしまい、発狂寸前。

問い合わせても原因不明。もう全裸で部屋の中を暴れまわってやろうかと思った。


結局はショップへの来店を促されて一から店員さんと手続き。


何故ガラケーを使用していたのか。


まず、元々使用していたスマホの端末をWi-Fi下で使用できればWEB系は充分だろうと思った。その端末もボロボロだ。


6年以上、電力の消費を重ねたバッテリーは充電を止めた瞬間に電源が落ちるまでイカれてしまった。モバイルバッテリーが命綱だ。


スマホが悲鳴を上げる状況で何度もハレンチな動画を見た。人間で言うと点滴をつけながらサッカーしているとても危険な状態だ。


視聴中に画面が固まった時は全力でスマホを鼓舞する。


「今、誰かに見られたら確実に何かを失う...。蘇れ!!ハッ!!頑張れぇぇえ!!」


人類史上最もマヌケな姿かもしれない。


その度、命を吹き返してくれたボロボロの彼を畏敬している。

今日をもってハレンチ動画担当大臣の座を退く。お務め御苦労。ありがとうございました。


ガラケーを購入したのが19才。あれから良くも悪くも現実感を取り戻した。


元々、中学でiPhone4sを母親に買ってもらうまで我が家にはインターネットという概念がなかった。

初めて検索した単語は


"阪神タイガース"


今でも忘れない。その日、小さな画面の中で世界が驚くほど広がった。


暇があれば何かを検索する。そこから高校生にかけて本当の自分は3次元ではなく、スマホの中に存在した気がした。思春期のあの膨大な時間を一体どれほどスマホの中で過ごしたんだろう。もはやタイムラインで何か呟くために現実世界を生きる。常に頭の片隅にネットワークが張り巡らされていた。

 


良くも悪くも恐ろしい。高校生の頃、そんな日々に危惧感を覚えた。

 


インターネットと距離をとって気づいた事。どうやら自分は二次元の中でお互いダイレクトに通じ合うよりも、一つのフィルターを通して人と繋がる方が好きらしい。


タイムラインを覗けば誰かいる、分からない事があれば思考を省いて答えを調べられる、鼻くそをほじりながら匿名で悪口を書く事だって可能だ。友達だって探せるし、マッチングアプリとやらも有効だと聞く。ネットの中は非常に便利でついつい依存してしまう。

 

 

反面、省かれた手間や人生の半分以上を過ごしたネットとは無縁の日常から目を背け続けてしまう事にとてつもない不安を感じる。

 

 

芸術は受け取り方次第だ。M-1だって個人にとって優勝者が一番面白いとは限らないし、映画や絵だって深く考察して誰かに話してくれる人がいれば、片手間に大まかな内容を楽しむ人だっている。漫画を泣きながら読む人もいれば、エッチなシーンを探すために流し読みする小学生みたいなスケベがここにいます。

見つけ出した時は飛ばしたページを読むはずの集中力がエッチなシーンのみに注ぎ込まれる。
ちなみにエロ漫画を読めばいいじゃないかという意見は受け付けない。あくまで本筋がエロであってはダメなのだ。

 


エロの話はいい。脱線してしまいました。

 


ワイドショー番組でコメンテーターが覚醒剤の呼称を"おならプープー剤"にすれば誰もやらないと言ってた。周りの出演者が笑う中、ひたすら真摯に訴えかける姿を見て朝までこの人の話を聞いてたいと思った。


休み過ぎて学校行き辛いなと思いながら夜更かしして布団の上で聴いていた深夜ラジオのパーソナリティが言った。

「貴女に話しかけています」


当時観ていたドラマが月9史上最低の視聴率を叩き出した。吃音症の主人公がカウンセリング中に一言も喋れず泣き出してしまう。科白はない。お芝居をしたいと思った。

 


演劇を観て、舞台上と自分の心境がリンクして情けない程に泣いた。あの脚本家は自分のために直接メッセージを投げ掛けているのだと本気で思った。

 


シャーペンの発明者は鉛筆の愛用者だ。
クリエイティブな発想はアナログから生まれる。

 


最先端のテクノロジーを駆使する同世代を一歩引いた所で見たかった。この景色は十分堪能した。

 


友達に地図案内を任せっきりにした時間も、先輩に居酒屋を探してもらった時間も、PDFの操作が困難で台本が追い付かず稽古を止めてしまった時間も、必要だったと思いたい。

 


今はスマホが必要だと感じたけど、ガラパゴスさんの程よく制限された使い心地がとても好きなのでまたいつかお世話になるかもしれない。販売が終了するという噂をよく聞くけど4G対応製品は続くらしいです。

 


スマホ全般の設定を終えて、ガラケーに残った情報を確認するため画面を開く。
文字を押す度に「カチカチ」となる音が既に懐かしい。少し切ない。


2年間、ご苦労さまでした。

見た目が人間なもんで皆人並みに相手してくれます

「イイヨ」
「ハイ」
「ソウダネ」
ロボットのような無機質な口調になってしまう事がある。これは無理してタメ口を使う際に全裸コミュニケーション(←心を開いて会話すること。言いたかった。言ってみたかった。)へ踏み切れず方言の関西弁でいこうか標準語でいこうかという葛藤から生まれる私特有の言語だ。


児童館で働いていた時、子どもに言われた。


「先生は中国人ですか?」
「ん?え、なんかおかしかった?」
「うん。喋り方がおかしい。」


なかなかやるではないか小僧。俺の第二言語を見破るなんて。


子どもの前では嘘がつけない。全てを見透かされているようなセンサーが働く。特に小学生低学年。なので自分もフルチン精神で立ち向かうという訳だ。
しかし、そんな状態を思考力の発達しすぎた大人の前で持続できなかった。その隙を子どもは見逃さない。


敬語はとても楽だ。盾を持ちながら戦っているような安心感がある。
馴染みとの会話も楽だ。全裸で走り回るような解放感がある。


敬語の距離感で無理矢理タメ口を使うというのは盾を持っているのに全裸という事だ。おかしい。だって防御したいのになんで服着てないの?ち〇ちん出てるよ?


そんな感じだ。


緊張して"コミュ障"と直接言われないようにとても気を張っている節はある。


自然な会話とはどのようなものだろう。友人と話した最近の電話を思い出す。

ex.1
友「もしもし」
俺「君がエレン・イェーガーくんかな?」
友「はい?」

ex.2
俺「もしもし、はい?」
友「はい?」
俺「どうされました?」
友「いやあなたが掛けてきたんですよね?」

ex.3
俺「もしもしという事になりますよね。電話をかけたのだから。」
友「そうなりますね。」

ex.4
友「もしもし」
俺「おっぱい」

ふざけている。緊急の用でない限り間違いなく冒頭はふざける。そして最後のおっぱいを除いて全て敬語だ。全裸である事を逆手にとってあえて盾を構えている。
まともに話すときは標準語も関西弁もタメ口も敬語も無意識に融合しているけど、気にしてないから細かく覚えてない。


無理にタメ口を使うより、距離感を考えながらふざけてみると本来の調子が出てくるのかもしれない。馴染みのキッカケも確かそんな感じ。そのために、まずは相手を知る事だ。
やってみようと思う。


以前、言語改革に励んだのはやはり「タメ口で喋ろうよ」と言われた時だった。
いつものごとく慣れたらそうするよと言いながら、そもそもタメ口を使わないで"慣れる"なんてできっこない。

そして堅苦しい言葉遣いを続けた後、また言われる。

「タメ口で喋ろうよ」

先輩に相談した。仲良くなるために喋りにくい言葉を無理して使う必要があるんでしょうか?

理解していた。自由に言葉を使いたいのなら、この悩みに理屈など存在しない。

泳ぐ事はおろか、水面に顔をつける事すらできなかった小学2年の俺と同じ状況だ。友達の親御さん同伴でプールへ遊びにいった時、水に怯える自分の頭を掴んで悪ふざけで水面に叩きつけた友人が親御さんに怒られた。泣きながら自分でも顔をつけない事には一生泳げないと知っていた。

荒治療が必要だ。そんな思いを汲み取った上か先輩は背中を押してくれた。

「タメ口でいいって言われた機会を逃すと一生切り替えるタイミングないんじゃないか。」


当時、タメ口で喋り散らかした相手は今でも気の知れる友達だ。


理解してくれなんて言わない。


頑張って今日も喋る。

逃げるは恥だし密になる

バイト先へ向かう最中、コロナウイルス感染防止対策のため電車内の窓が全て開いている。

 

小説を読んでいたところ、鼻くそのような汚れが紙についているのに気づく。畜生。フリマアプリで購入したため前の持ち主がほじりながら読んでいやがったか。ああん?

中古品ばかり購入するので疑いを持つことは度々ある。

 

汚れを取ろうとするが取れない。むしろ、どんどんと鼻くそと思われる汚れが発見される。


違う、雨だ。


全体の3分の1程開かれた窓の隙間から強烈な雨水が小説を濡らす。気付けば外はザーザーぶりだ。すぐさま小説を鞄にしまう。

雨は収まる事もなくどんどんと侵入範囲を広げていく。まずい、洗濯物を乾かすために部屋の窓が全開だ。

そんな事はどうでもいい。どうでもよくないけど今はどうでもいい。それより額にまで雨が直撃している。風向きの影響もあってか車内で唯一、自分だけピンポイントに降り注がれる。なんだこの状況は。

 

恥ずかしい。

 

前に座っている外国人のお姉さんが目蓋をかっぴらいてコチラを見ている。元々そういう目なのかもしれない。


強まる雨音と共に尋常じゃない量の雨が通路に叩きつけられる。チラ見する視線も感じる。

 

ヤバイ。どうしよう。すぐに席を移動しようかと試みたが一席ずつ等間隔にみなさん乗車している。密だ。密になってしまう。

 

顔を避けたり手でガードしたいが、車内全員の姿勢が固定されたこの空間に置いて無駄な動きは命取りだ。「うわ...あの人にだけ降ってるワロタ。一人だけ格闘してるワロタ。」と思われてしまう。ダメだ恥ずかしい。

 

席を立ってずぶ濡れのまま別車両へ移動するのも逃げたみたいでカッコ悪い。全員が真顔かつ無言でチラ見する状況が作り出した謎のプライドが許さない。

 

静止したまま真顔かつ無言で必死に考える。どうすればいいんだ。

 

一人悩んでいるとドアを挟んで隣のシートに座っていた40くらい、会社勤め風の男性が席を立った。髪が濡れている。俺と同じ状況下におかれていたのだ。勝手に仲間意識が芽生えていた自分には分かる。悩み抜いた末に何かを決断した凛々しい顔が。

 

男性は立ってすぐに振り返り、雨を防ぐため窓を閉めようとした。換気が必須なご時世になってから幾度と目にする光景から理解したが電車の窓は非常に扱いが難しい。案の定、男性も窓を閉めるのに苦戦している。両手を使い踵を浮かしてまで閉めようと格闘したが諦めて乗客の視線を浴びながら別車両へと退場してしまった。

 

恥ずかしい...!

 

ヤバイヤバイ。今度は俺の番だ。もうシャワーを浴びたくらい髪の毛が濡れている。

 

恥ずかしい状況を打破できた事などあるだろうか。

 

小学生の時、体育の授業に備えてジャージの下に予め体操着を着ていた。運動場で休み時間を過ごしたまま、裸体を晒さずその場で体操着になって授業に移行するためだ。

 

休み時間終了の5分前、体操着セットになって残り数分間、遊んだまま授業に突入しようと決めた。上下に着ていたジャージを脱いで走り出す。

走り出して10秒くらい。「行こうぜ」と一緒に走り出した友達や同じグルーヴで過ごしてない女子までもが静止して自分に視線を注ぐ。

「なんか顔についてる?」くらいの感覚で走るスピードを緩めながら自らを確認すると、下半身がパンツのみになっていた。爽やかな笑顔にパンツ姿で校庭を走り回っていたのだ。

 

どうやらジャージのズボンと共に体操着まで脱いだ事に気がつかなかったらしい。はいてる感覚すら感じさせないなんて、なんて優秀な素材なんだ。

恥を抱えたまま、今の光景はなかった事にして無言のまま体操ズボンをはく。以降この件に関して本人に訪ねるものは一人もいなかった。


当時、ボロッボロのアパートに住んでいた。近所の子供達が壁当てに利用する度、木造の我が家は揺れた。台風で屋根の一部が飛ばされて雨漏りする事もあった。硬いワカメのような謎の素材で作られた風呂も白アリが沸き出るトイレもベランダに増設されたものだ。

毎朝、なにも変わらず家を出る自分に対して、それを見る児童達のリアクションは毎回新鮮だった。
「え、近!」
「え、あんな家に住んでるの?」

一人で恥を抱え込むのが嫌で徒歩5秒の通学路を毎朝5,6人程の友達グループに迎えに来てもらった。インターホンもなかったので大声で名前を呼ばれたら大声で返事して家を出る。

 

中学生の時、地元の賃貸マンションに引っ越して大喜びしたけど、高校を卒業して上京するまであの家で過ごしていたらなんか味があったなぁと思う。なんとなく。当時の自分は否定するはずだ。

 

 

結局、どうしようか考えている間に降車駅に着いたので、ずぶ濡れのまま降りる。

 

今度、同じ状況になっても多分動かない。

 

はじめに

目覚ましをセットせずに寝る。

 

食卓の音、差し込む光、小鳥のさえずりで目が覚める。眠たかったら爽やかな騒音と格闘しながらまた寝る。


こんな事を繰り返していると大体いつも朝の10時。ゆっくり歯を磨いて丁寧に顔を洗う。


スッキリした体で納豆をかき混ぜて野菜ジュースをコップに注ぐ。その日の気分でソーセージ焼いてみたり、トマト切ってみたり、ラジオ聴いてみたり。


ここ数日、朝のルーティーンが終わったら大体、動画配信サイトに入り浸る。興奮冷めやらぬ高ぶりを感じた時はいてもたってもいられなくなり友達に電話して気が済むまで評論家面で語り合う。友達も絶賛自粛中である。


まだまだ日が沈まない時間帯に約1時間半の道のりをかけてバイト先へ向かう。夜シフトが続く。
電車で読書。少し早く読めるようになってきた。


美味しい賄いをいただいてから働く。勤務中にアルコールを100回はプッシュしてるんじゃなかろうか。


23時頃に帰宅。駅から家までの30分は気分で電話するか音楽を聴くかボーッと考え事しながら歩く。疲れやストレスがスッキリするくらい冷たい空気と星空が気持ちいい。田舎なので。人に見られていないかドキドキしながら脳内MVに合わせて踊ってみたりする。

 

家に着いたら必ず手洗いうがいをする。除菌シートで持ち物を拭く。居候先の方々はみんな寝ている。用意してくれた美味しいご飯を食べた後、この家で明確に自分へ課せられた「皿洗い」と「ゴミ捨て」をのんびりとこなす。ノッてくると炊飯器とかも拭いちゃう。

 

引っ越しした当初、破格の家賃で住まわせてもらっているにも関わらず、洗濯時に毎度乾燥機を回したり、暖房をつけっぱなしで毎晩寝ていたところ家主に怒られた。


「我慢しろ。応援される人間になれ。」


反省した。我輩はあまちゃんだ。

上京して一人暮らしを始めた当初、朝昼晩をフルグラのみで済ませていたあまちゃんも我輩だ。高校生の時、バイト三昧で怒られるのが嫌すぎて工場長の死角に入る事に徹して退勤まで姿をくらまし続けたあまちゃんも我輩だ。中学の時、一人で勉強した方が身になるとインテリジェンスな理由で堂々と休みながら朝までエッチな動画を見ていたあまちゃんも我輩だ。当時、友達の間で大流行した「あまちゃん」メンバーが紅白歌合戦にゲリラ出演した姿を見て、エンターテイメントって素晴らしいと感銘を受けた我輩もあまちゃんだったなぁ。


好きなコメディアンがテレビでニート軍団に向かって「人のためになる事でしか生きてる実感が持てないから働く」と程よく自信のない圧力で言い放った。普段の強気な発言とは裏腹に。


うんこみたいな日常がその役目を果す日がくるかもしれないので、書き留めていきたい。

 

今日も目覚ましをセットせずに寝る。